今年、初デラウェアを食べました。喜んで食べる子どもを見て、昔話を思い出しました。
青野町のピオーネ
井原市は、岡山の西の盆地にあります。その盆地の山側にある青野町はぶどうの産地です。地元では青野のぶどうは有名です。子どもが小さい頃、おばあちゃんが青野のぶどうをよく送ってくれました。そのころのお話です。
1歳の子にはちょっとおおぶりなピオーネ
ピオーネは、種のないぶどうです。1歳のころは、半分に割ってあげていました。ちょっとおおぶりだったのです。まだちゃんとしゃべれないころで、おいしそうにもぐもぐ食べていました。
2歳になると一人でむいて食べれるようになりました
2歳になり、自分で食べれるようになったぶどうを、一日5粒ずつ、毎日おいしそうに食べていました。8月に送ってもらったぶどうがなくなりそうになったころ、おばあちゃんに電話でまだ食べたいと伝え、またピオーネがやってきました。それからも一日5粒ずつ、毎日おいしそうに食べていました。
11月のとある日に
今日でぶどうがおしまいの日。「いっぱい食べておいしかったね。」と最後のぶどうをお皿に入れて渡しました。いつもと同じようにおいしそうに食べていました。
翌日のことです。夕ご飯のあと、いつものように聞いてきます。
「ぶどぉは?」
「きのうおはなししたけど、ぶどうはもうなくなってんで」
と伝えました。すると、ピオーネのような大粒の涙を流して、泣いていました。
「ぶ、ぶどぉ….」と。
その後、おばあちゃんに電話をすると言い出し、お願いしましたが、もちろんよき返事はもらえません。もうすぐ冬。ぶどうの季節は終わったのです。
翌日からぴたりと「ぶどぉ」の話はしなくなりました。
三つ子の魂百まで
毎年ぶどうを見る度にあの涙を思い出し、しんみりしている間に、ぶどうはどんどん減っていきます。今朝も、デラウェアの大半を平らげて、学校に行きました。
小さい頃から、食べる事が大好きな娘ちゃん。デラウェアを食べた後「もうすぐ、ももの季節だね。」とにやにやしていました。いっぱい食べる、元気な子に育ってくれたのも、ぶどうのおかげだなぁと思いつつ、もうちょっと分けてくれてもいいのにと思うこざるでした。